誇り、ゆえ

昨今、スポーツネタで思うこと、いろいろあり。時間が経った分、ちょっと冷静に考察、のつもり。


一部で盛り上がるオリンピック招致活動...私は承知なんかしませんけど。
ライバルを貶める発言が平気でぽんぽん飛び出す人間を、自治体の長として持たなければならない恥ずかしさは、あのGracelandで浮かれていた男を見たときの落胆にも通じる。もう一人のY氏も、「ミサイルはラブコール」とか発言していたっけ。この人の変態性癖がどうかは別にどうでもいいけど、ラブに殺されるのはあなただけにしておいてください。
これをきっかけに活性化とか、地元への莫大な経済効果、スポーツの素晴らしさを身近に、福岡を世界にアピールとかの妄想の下、既に1億円以上の予算を浪費しているとのこと。仮にそう言う恩恵があるとして、それら全てはテロの恐怖込みだってことは、どう考えているんだ? 半島から最短のターゲットになっている事実とか、どうするわけ? それらすべての覚悟ができた上での発言とはとても思えない。
ここぞとばかり、提灯担いでヨイショする地元出身タレントもメディアも、いっちょんすかんったいね。
http://www.yomiuri.co.jp/sports/etc/news/20060810i514.htm


暑い夏の、寒いボクシング。
TBS、最近ローブロー多すぎない?リングサイドに映っていた人影よりもさらに柄が悪いのがバレバレ。
あの一家は「粗にして野であり卑でしかない」てな感じで、ヒールとしての巨人や北の湖、Yankeesとは全く違うし。「プロの目から見れば勝っていた!」って言われるなんて、分かる人にしか分からないなら、そりゃ古典芸能ですらないよ...って、あ、芸能人か。
もちろん、いろんなものを殴り続けて手に入れてきた自負もあるんだろうけれど、不遜な態度でそれをアピールすればするほど、吠えるだけじゃ得られないものも歴然とあることばかりが目立つ。
勝谷誠彦氏の言い分も結構当たり前。確かにやくさんは、根の陰険さが一層露わになった気がする(うーむ、自分にかなり近いものが...)。ガッツさんが『それが人にものを言う態度なの?』とでもいうスタンスで冷静に、でもはっきりと意見していた姿勢が光っていた。でも、参院選になんか担ぎ出されないでね。
この件に関しては、確かに既存メディアとは別の力が働いていると感じるけれど、ネット特有のアジテーションが多少なりとも含まれていることを考えておかなきゃね。そうじゃないとただの「弱い者」イジメだし。
http://column.chbox.jp/home/kiri/archives/blog/main/2006/08/03_054106.html


高校野球にはいつも、教育の面を被ったSM趣味を感じる。変態から見ても変態。
そして社会人。タレントのスキャンダルは別にどうでもいい、興味ないから。てか、私が誘われてたらホイホイ行ってた気がするし、「バットとボールで延長戦!」とかって。
ただ、欽ちゃんには好感は持っていたけど、組織のトップ・顔としてはかなりガッカリさせられた。
ある朝起きたら突然「辞めます!」、でも人に言われたから「やっぱり辞めません!」って、人生掛かってる選手は、身代わり早いタレントのテンションに翻弄されてないのか?
全員が芸能人としてパートタイムで野球をやっているわけじゃなくて、芸能界っぽいこともやりながら、でも真剣に野球に取り組んでいる選手だって沢山いるんだろうし。
野球という下降気味のスポーツに新しい流れをもたらしてくれたかと思ったのに、何だか結局古いスタイルの芝居じみた演出にしか思えないけど。
「あ〜、良かった良かった。」って声だけをバックにしているなら、それは単なる興行の一つであって、競技としては永遠に「一軍」には上がれないんじゃないか?という位置づけを感じてしまいました。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/11780/


そして、F1。
ハンガリーGP決勝レースで、Hondaのジェンソン・バトンが初優勝! 一般の扱いはあんまり大きくないけどね、本当に素晴らしいことだよ。じぃ〜ん...。蒸し暑くてオイル臭いピットの隅でチームと一緒に悔し涙流して、歓喜の渦にもみくちゃになるなんて、想像しただけで鳥肌モノだなぁ。偶然が重なっただけ、なんて言わせて欲しくないな。琢磨にだってさ、チャンスあるんだよ。いつかはきっと、いつか来る。
http://www.honda.co.jp/F1/race2006/rd13/report/


みんなみんな、なぜこれほどまで一所懸命に、何のために闘っているんだ?と考えてしまう。
その1つは誇りなんだろうな。
プチ東京から脱して、アジアの窓口となるための。
がむしゃらなド根性系どつきファイターとしての。
職業野球でなくても野球を心から愛す人としての。
かつて栄光を誇った、技術立国のチームとしての。
見方や立場がちょっと違うだけで、深く共感できれば、強い嫌悪感も覚える。その人の発言や行動は、その人個人のものかもしれないし、何かが誰かがそう言わせているのかもしれない。本人がそれに気づかない場合も含めて、ね。だからそこに表層的ではなく深い理解や共感を感じるには、見守る側にも直感も持続力も要求されるんだろうし。
これって、結構スポーツそのものかも。

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