光の差す方へ

一ヶ月以上経っても、年を越しても、録画してまでしつこく『LOST』のファイナルシーズンをまた見る正月。
エンディングを見てすぐは、とても複雑な衝撃を受けたけれども、時間が経過すればするほど、じわじわとこうして今も低温火傷のように奥の方がヒリヒリする。最後まで見終わった後に見返してやっと分かること、それでも分からないこともどちらも興味深い。流行廃りに関係なく、改めてシーズン1からぶっ通しで見たい。今はまだ、途中のシーズンのだれ具合や展開の矛盾や疑問といった、粗探しする気にはとてもならないな。
やはり、これほどのエンディングは無かったかもしれない。気づきとして幾重にも重なるフラッシュフォワード(とバック?)が見ているだけで息苦しくなるのは、ただ悲しいからではなく、すべてにきちんと意味があったのだと思えるカタルシスが何度も波のように押し寄せるから。キリスト教のバックグラウンドを持たない東洋人にも、深く染み入るファイナルだった。
いろいろなキャラクターへの肩入れはもちろん、自分が出演者なら何の役をやったかなとか、どんな些細な役でも参加したかったまでの妄想も止まらなかった。しかし、何より思ったのは、みんなが集まるあのような場所に自分も行けるだろうか、ということ。「ありがとう」「また会えて嬉しいよ」「愛してます」…そう言葉を交わし、視線を送り、抱きしめ合う光の場所に、自分の居場所はあるのだろうか?その時、誰がその場にいるだろうか?そして、自分の隣には誰がいるのだろうか?と。
出演者の何人かは、間違いなく自分のキャリアに影響があったということを語っていたけれど、人生の貴重な時間を費やして6年もの間、共に見守り、漂流し、翻弄されてきた見る側の一人としても、間違いなく心に深く深く残る番組だった。
新しい年の始まりに、「立ち去る」前に「次へ進む」、静かで穏やかな光を感じられたことが幸せだと思う。

Lost: the Final Season

Lost: the Final Season