知りたいことはそれだけじゃないんだ

また月曜日がやってくる。
最初は、カーラジオで知ったニュース。どこの国の出来事だろう?と思った。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/amagasaki/archive/news/2005/04/20050425dde001040033000c.html

自分が108人目だったら?とか考えるし、責任者側だったらどうしたか?とか、ここのところずっと考えてしまう。口にしてもしなくても不安だ。


でも、最近、うんざりする。意味もなく暴力的になったりもする。

http://www.sankei.co.jp/news/morning/07na1003.htm


分かりやすいスケープゴートを仕立て上げて恫喝するマスコミの態度は、見ていて反吐が出る。煽るだけの質問を浴びせる記者は、マイクを、カメラを自分に向けてみろよ。
そりゃ、JR西日本は、車とか置き石とか人影とか、軽率に発表したのもまずいよ。情報が遅くて不正確だし、その後の対応も後手後手で、嘘が嘘を重ねる。新型ATC設置せずに運転再開計画→撤回とか。単なる民間企業ではなく、ライフラインを担っている責務ある企業としては、叱責されて当然だと思う。
その組織は人を管理し、人が組織を作る。同僚が乗車してて助けなかったのは、人間としては問題かもしれない。きっと、そうだ。でも、サラリーマンとしては普通だったんだよ。だって、上司に出てこいって言われるんだもん。組織の命令だもん、そりゃ行くよ、勤務続けるよ。
ボウリングに焼肉、ゴルフコンペとか、上司やみんながOKなら、そりゃ行くさ。だって、親睦を深めるんだもん、組織の構成員の一人として。そういう予定だったんだから。
そういうのもみんな含めて、狂わせられないダイヤの一部なんだから。
上司の上司にはまた上司がいるんだから。


でも、何か違う。
私たちが知りたいことはそんなことじゃない。
いや、そういうことがあったのが事実なら、知ってはおきたい。
ただ、それが本質じゃないんだ。
時間が経過するにつれ、少しずつ気がついてきた。


運転歴が浅いとか、ゲーム脳とか、信じられない食い付き方してたマスコミって、本当に情報が早くて正確だったのか? 今日もどこそこでオーバーランがあっただの、喜んでかき集めてたのは、本当に重要なことだったのか。
無言の社員に掴み掛かる人の映像を流して、遺族全体の代弁者みたいに、分かりやすく誘導してくれている? 次は、イベントに参加してた社員の子供に詰め寄るとかして、「お父さんがあの日何をしてたか聞いた?」とか尋ねるか? 痴漢や盗撮、交通違反してくれる社員が出てくるのを待ちかまえている?


一部のマスコミが振りかざす自分勝手な正義感は目障りなんだってば。間違っても、報道の責任とか、言論の自由とか言うなよ。視聴者だってそんなにバカじゃないんだよ。


私たちが知りたいことは、もっと根深い問題のはず。
民営化って名ばかりの、内部は旧体制のお役所体質。
危険回避や危機管理は、そりゃ最大限しなくちゃならないはず。でも、失敗が絶対に許されないシステムって、何だよ、一体。「日勤教育」ってそれに本当に効果があったのか?
リスクとコストの関係ってどうなってたんだ? 大惨事に至る今までに、ここに繋がるようなトラブルの小さな芽はなかったのか?
JALのトラブルは、報道されなくなったことで解決したのか? いつの間にか矮小化されたような、羽田の管制室の不祥事は、あれこそは恐ろしい出来事ではないのか?


スピードやコストを求めてきたのは、確かに、私たち現代の都市生活者自身。だけど、朝の90秒って、あんなに多くの嗚咽と引き替えにするだけの価値が本当にあったのかい? 私は、自分と、自分の大切な人の命にいくら払っているのかを知っておきたい。


御巣鷹の山、湾岸、モスクワの劇場、WTCイラク
いつも感じる、この絶望的な無力感。
それでも、辛くても、知りたいことは知っておきたい。
あの時感じたこと、忘れられないこと、今でも知りたいことがたくさんあるんだから。
伝えられることの陰に。