喧噪と黙祷と

靖国参拝についての喧噪が過ぎた後、近くを通りかかったので、何となく護国神社へと足を向ける。普段は何もない広い境内に、びっしり並んだ灯籠。その奥で、お参りする初老のご婦人ひとり。
二礼二拍手一礼はせず、蝉時雨の向こう、遠い飛行機の音にじっと耳を傾ける。


『祖国をお守りくださった英霊に感謝しましょう。』
...そりゃそうだけどね。
『心ならずも戦地へ赴いた、数多くの兵士の命。』
...誰も好きこのんで行ってないよ。
『死者には、A級戦犯も、一般人も区別はありません。』
...国籍も、ヤったかヤられたかも。
『亡くなった方を神様として、お祀りします。』
...遺族の意向に関係なく一方的に?
大東亜共栄圏を実現するために、アジア諸国へ侵略。』
...そうだったんだろう。
『西欧諸国の圧力に抵抗するために、やむを得ず蜂起。』
...そういう面もあったかもしれない。
『圧政に苦しむアジア諸国を開放するために戦った。』
...そりゃあまりにも美化し過ぎ。


一体、何が良くて、何が悪いんだろうね。こんなにうるさくちゃ、おちおち眠ってられないんじゃないの?
小学校の授業で、「もし、戦争になったらどうしますか?」という先生の問いかけに、さんざん悩んで「お坊さんになります。」とかなりトホホなことを書いた記憶がある自分。でも、その当時に生きてたら、当たり前に戦地に行ってたんだろうし、恐怖を狂気で隠してただろうし、殺されるぐらいなら殺してたと思うし。何かおかしいと思っても、絶対に言えなかったと思うし。
とにかく、靖国千鳥ヶ淵に一体何があるのか、いつかちゃんとこの目で確かめたいなあ。