スタア誕生

大相撲秋場所も残り4日。力士のフルネームと出身地にまで詳しい、星取り表を付けるリトル・プリンセスの目には、角界の昨今のゴタゴタはどう映っておりましょうか?


偽有栖川さんたちも、ビートルズのコピーバンドとか、寅さんの物まね、迎賓館風ラブホテルのレベルに抑えておけば良かっただろうに、立ち位置的にそれが無理だったんだろうけれど。本家と亜流(ですらないか)の圧倒的な対比。


さて、ニュー・プリンス誕生に沸く、皇族追っかけ・皇室気取りおばさんの盛り上がりとは裏腹に、皇室典範改正ムードは一気に沈静化、というか数十年単位で先送り。祝福の陰で、ホッと胸をなで下ろす人あれば、ため息つく人も。乙武さんがあそこまで叩かれなくちゃならないのかどうかもちと疑問ながら、敢えて、女性天皇女系天皇について考えてみる。

http://www.sankei.co.jp/databox/imperial/index.html

自分でも、過去に女性天皇も居たんだし、性別はどっちでもOKなんじゃないの?と思っていたけれど、これはそもそも『皇族の方々は、自分と同じ人間である』という前提で考えることなのかナ?というのを疑問に感じだした。


天皇制の意味って、何かの意味や大義名分があるから継承していくというより、実は、継承こそが大義名分であり行為である全てのことだったりして。これだけ変化のスピードが速い現代にあって、なお、軽々しく変えるべきものではない、自分の周りの環境からは完全に超越している、伝統としきたりの別世界。そういうのは確固としてあるわけで、それをその時代その時代に即したコンビニエントなルールでばっかり解釈しようとするとズルズルだし。


トキ保護センターや南鳥島を連想? 角界のように、外国の血を入れて活性化? うーん、そういうイメージよりも、むしろ感覚としてはに近いような。日頃はあまり気にしないけど、ときどき何かのイベントでニュースになる。普段はなかなか見えない、ただ、昼夜関係なく、遙か遠くには毅然と存在することは知っている。好きだとか嫌いだとかという感情を超越して。たまに、郊外で流星群を見たり、プラネタリウムに行ったりすれば、その空間的・時間的スケールの巨大さを感じて、日頃、自分が悩んだり苦しんでいる生活のことを矮小化させて、一瞬でも気持ちを楽にさせてくれるような、ホントの象徴。


「そんなロマンチックな夢物語じゃなくて、これからの我が国の根幹をなす重要な問題なのだっ!」というおしかりもありましょうが、だからって逆に、感情的なジェンダー論云々に絡まって欲しくないんですけど。男女同権・機会均等のアピールとして、大相撲の土俵に上がろうとし続けたどこかの知事のパフォーマンス風なのも、ちょっと、ねぇ。性別はどっちでもOKなら、男でもいいじゃん!押されっぱなしの世の中だし、どうせオスは弱いんだし、不戦勝で星を五分に戻させて、とか乱暴に思ってしまう。時には、妄想でも「ふ、冥王星、おまえの気持ち、分かるよ...」とかつぶやかせてくれよぉ〜。