湯屋にて

「にーさん、ここいらじゃ見ない顔だね。」
「あっ…はい、そうですね。通りすがりで…。」
「珍しいね、あんたみたいな若い人が、こんな銭湯に来るなんて。」
「いえ、その… 若く…もないただの風呂好きなんですけど。」
「そか。」
「たまたま近くを通ったら、良い感じに小汚…雰囲気のある看板と入り口が目に入ったもので。」
「あれ、あんたの靴やろ、あの金魚の餌入れの棚に靴突っ込んどったのは。」
「えっ?、あれ、靴箱じゃないんですか!?す、すみません。」
「来る客より金魚の数が多くなったからな、昔下駄箱、今餌箱や。まぁ、いいやろ。」

「あー、平日ですけど、かなりお客さん多いんですね。棚の至る所に、入浴セットが置いてある。」
「ん? 男湯の方は、あんたとわし以外、誰もおらんと思うよ。」
「え?、だってあんなにずらーっと…。」
「あれはあんた、みんな、客がここにずっと置いとるもんだよ。」
「置いてる!?…ってつまり『ロッカー』ってことですか!鍵も仕切りも無い!」
「ロッカーなら、こげんのびのびタオルを干したりもできんじゃろ。さ、入ろ。」


「ホントだ。誰もいないょ…メガネ外してたから、曇ったガラスの向こうが全然分からなかった。」
「女湯の方がまだ賑やかでな。聞こえるやろ、おばちゃんたった3人であの騒ぎようや。」
「しかし凄いな、このただならぬ寂れ具合。何でまた、窓ガラス全部にガムテープでバッテン×が?」
「そら、何年か前の地震の時に割れて落ちてきて危なかったからな。」
「うわー、風呂が結構深いですね。中で座ると、口が水面ギリギリだ。」
「時々、近所の子供が溺れよる。」
「天井がこれまた怖いですね、カビなのか汚れなのか、まだらになりまくって。どっちが元の地なのか分からないほど。」
「まぁ、次に地震が来たら、もう持たんやろな。」
「この、歪んだ窓枠からのすきま風が、火照った体を良い具合にクールダウンさせますね。」
「ボロボロ具合じゃ壁も負けとらんぞ。しかし、ごちゃごちゃうるさいな、あんたは。風呂ぐらいゆっくり入りな。」


「ふー、やっぱり温まりますね。うわー、懐かしい形のマッサージ機、これまた味があるなぁ。料金は、と…投入口が錆びきって読めないけど…10円!?」
「ああ、止めとき。それ、どうせ壊れて動かんのやから。」
「それって、ただの巨大な貯金箱ってことじゃないですか。しかし、この体重計も懐かしいですね。じっと載ったまま、垂直に立つ文字盤の針を目で追うのって、やっぱり難しいなぁ。」
「そこを、家族とか、仕事仲間同士で読み合ったりするわけだ。」
「昔は、そうやって賑わってたんでしょうね。しかし、さっきからずーっと気になっていたんですが、何であの番台のおばちゃんは今時「ルービックキューブ」とか持ってるんですか?」
「知らんが、楽しいらしい。こないだ『やっと5面まで揃った。』っちゅうて喜んどったわ。」
「…なるほど。」
「まぁ、今度来るときは、あんたも自分の風呂セット持ってきて、あの棚に置いて帰りな。」
「そ、そうですね。一応、どこでも風呂に入れるセットは車に真っ先に積んでるんで、「走る脱衣所」みたいなもんですが…。」