巷のプチミシュラン調査員に思ふ

料理にカメラを向ける人間が、誰一人いないこと。

ああ、このご時勢、面子によっては難しくもなってしまったたったこれだけのことで、何とゆったりと飲み食いが楽しめる時間になることか。1年以上に渡って続く、毎月一度の定例飲み会が、他と違って毎回最高に楽しかったのを象徴するポイントの1つってコレがあったかも。

そりゃ、撮影禁止とはどこにも書いてないけどさ。料理が運ばれてくるたびにワッと人が群がったり、隣でカチャカチャやられりゃあ、こっちの食欲は失せてしまう。シャッター音を消しもしない、場合によってはフラッシュさえ焚いていらっしゃる。あまつさえ、「ちょっと待って!」とこっちの箸すら制止するんなら、もう、撮影用・取材用の時間は、私のいないところで確保してくださいよ、と。こういうのが、PJ(Public Journalism)の1つの姿だとしたら、あまりにも悲し過ぎる。

いや、それは取材なんかじゃないね。「人の参考になる」とか「店の宣伝にもなる」というお題目もあるかもしれないが、結局のところ一方的な「I love me」のコレクションだもの。ちまちましたものを一所懸命しかし手軽に記録に残そうとする態度には、ちょ〜っとした『ちゃっかりデジタル窃盗』の臭いすら感じてしまうんだよな。旅先のショーウインドウを撮影しまくる日本人観光客的とでも言うか。

正直言って、凄く萎えてしまう。自分が気に入っている店だったり、隣の席でそれをやられたら、かなりガックリくる。「喰いたい」「飲みたい」「一緒に話したい」より前に、「残したい」を持ってくんなよ。欲望のライヴ感を止めるなって。

小さな飲食店なら、当たり前にオフィシャルサイトなんか無いから、飲食ポータルがその代わりになるんだろうけれど、それと同じまたはそれ以上に影響力を持つ個人ブログ。

自分がもし店側の立場だったら、自分の知らないところで、自分の店のことが、営業時間から連絡先はもちろん、メニューや価格、スタッフの態度や外観、開業日(!)に至るまで、事細かに掲載されているとしたら、たとえそれが好意的な内容であったとしても、どこかしら不気味な感じが拭えないのは、考え過ぎか? 安全なところに隠れて姿を見せない誰かに代弁されるばかりで、自分のことを自分の言葉で伝えるチャンネルを持たないことって、かなり気持ち悪いと思えるんだけれど。

もちろん、新しい店を探す時や、知らない土地で店を探すときに、写真付きの情報はそれなりに参考になることもあるんだけれど、綺麗な写真と詳しいレポート、豊富な情報量の個人ブログを見るたびに、とても複雑な気持ちになる。

少なくとも、自分自身の欲望レーダーを少しも働かすことなく、永遠の覆面調査員が勝手につけた評価の方を盲目的に信じたりはできないなぁ。旨かった!楽しかった!ってわずかでも記憶があれば十分で、誰かに披露したり、記録しておくために飲み食いしたい訳じゃないんだし。