人の悲しみを

あの歩行者天国ソフマップFONじゃなかった、1GBのUSBメモリ買ったところかも…史上最悪の通り魔事件の日曜日。


事件現場秋葉原だけあって、その手のデジタルガジェットがあちこちに豊富だったのも当たり前だけれど、いろいろな人が手に手に何かをかざしている光景が見える。そんな姿を見るたびに思い出すのは、映画「ダーティーハリー5(原題「The Dead Pool」)」のワンシーン。

ダーティハリー5 [DVD]

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キャラハン刑事は、殺人事件現場でしつこく被害者を追い回す女性レポーターに同行するカメラマンから無理矢理カメラを奪い、こう言い放って遠くへ力任せにぶん投げる。
「人の悲しみを撮すな!」


ハリー、俺はさ、時々、分かんなくなるんだよね。
報道のカメラよりも決定的な瞬間が、わずかなタイムラグ(場合によってはリアルタイム)で、編集無く、臨場感たっぷりに、いろいろな場所にポストされる今の世の中で、事実を知りたいと思えばこそ、そういう映像を追ってしまうことがある。
人の悲しみを撮すことや撮された悲しみを見ることが、いいことなのか、必要なことなのか、そうではないのか…。時々分からなくなるんじゃないな、ずっと分からない。


ネットが発達してなかった20年前の映画の中だけのお伽噺って言っちゃあそれまでだけど、だからこそあんたの怒りがある種真っ当にも思えるわけ。もちろん、ケータイやデジカメ、監視カメラを片っ端からぶん投げたりすれば、捕まるのはあんたの方って世の中になってしまってるけど。


何だろ、この二重にやるせなくて苦しい気分…。
あ、とりあえず、レポーターの後ろで電話掛けながらカメラに向かってニヤニヤピースサイン出してるアホどもには、RIP (Rest In Peace) の台詞も無くマグナムぶち込んでもらっててOKです。