光の差す方へ

一ヶ月以上経っても、年を越しても、録画してまでしつこく『LOST』のファイナルシーズンをまた見る正月。
エンディングを見てすぐは、とても複雑な衝撃を受けたけれども、時間が経過すればするほど、じわじわとこうして今も低温火傷のように奥の方がヒリヒリする。最後まで見終わった後に見返してやっと分かること、それでも分からないこともどちらも興味深い。流行廃りに関係なく、改めてシーズン1からぶっ通しで見たい。今はまだ、途中のシーズンのだれ具合や展開の矛盾や疑問といった、粗探しする気にはとてもならないな。
やはり、これほどのエンディングは無かったかもしれない。気づきとして幾重にも重なるフラッシュフォワード(とバック?)が見ているだけで息苦しくなるのは、ただ悲しいからではなく、すべてにきちんと意味があったのだと思えるカタルシスが何度も波のように押し寄せるから。キリスト教のバックグラウンドを持たない東洋人にも、深く染み入るファイナルだった。
いろいろなキャラクターへの肩入れはもちろん、自分が出演者なら何の役をやったかなとか、どんな些細な役でも参加したかったまでの妄想も止まらなかった。しかし、何より思ったのは、みんなが集まるあのような場所に自分も行けるだろうか、ということ。「ありがとう」「また会えて嬉しいよ」「愛してます」…そう言葉を交わし、視線を送り、抱きしめ合う光の場所に、自分の居場所はあるのだろうか?その時、誰がその場にいるだろうか?そして、自分の隣には誰がいるのだろうか?と。
出演者の何人かは、間違いなく自分のキャリアに影響があったということを語っていたけれど、人生の貴重な時間を費やして6年もの間、共に見守り、漂流し、翻弄されてきた見る側の一人としても、間違いなく心に深く深く残る番組だった。
新しい年の始まりに、「立ち去る」前に「次へ進む」、静かで穏やかな光を感じられたことが幸せだと思う。

Lost: the Final Season

Lost: the Final Season

旅の終わりに

ついに放映が終了した「LOST」…。
iTunes Storeで買っても、ソーヤーの微妙なスラングが分からないだろう日本人はおとなしくAXNで。
http://axn.co.jp/program/lost/

ファイナルシーズン・エピソード6、最終121話に至るまでの本当に永い永い5年でした。
今は正直なところ、あらゆる謎の解明や、結末から振り返るストーリーなどよりも、長く続いていた一つの「旅」が終わってしまったことに軽い放心状態で。

それでもやはり、人は move on しなければならないのだね、きっと。
架空の世界の、架空の登場人物たちにもすべて、心から感謝を贈りたい。

刻印

全部諦めて最後に残るモノ。
映画でなく、音楽でなく、ドラッグでなく。
結局、一番自分が心動かされて、そして戻ってくるのは、自分が刻み続けることば。
ほんの数日前に書いたエントリーにすら、自分でまったく思いもしなかった台詞投げかけられる。
鎧でなく、繭でなく、ぬる湯でなく、拘束衣でなく。
他にはどこにも行き場がなくても、ここさえあれば、またどこにだって旅に出られる気がする。
腐って流れる川、破れたマジックカーペット、聞かれないメロディー。
また、何かが、今この瞬間から始まるかな。

愛も孤独も止められない10人目

春はどうやら自分の中で、切ない群像劇を見たい季節になっているらしい。
http://d.hatena.ne.jp/coool51/20060413

録画やレンタルだけして見ていなかった作品を消化する時に、「もし、これが人生最後に見る作品だとしたら、どれ?」を基準に選んだ『Magnolia』を見る。

マグノリア [DVD]

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仮にそうなっても、少しも後悔しなかったストーリー。数多くの登場人物も、3時間を超える長さも気にならず、うっかり感動すらしてしまった。

人生の終焉を迎えようとする人、誰かに振り回される人、愛と孤独に苛まれる人、過去の苦悩をずっと抱えた人々…。
『Crash』の時同様、映画の中に自分を探す。憎悪に満ちたSEX教教祖と、絶望の元子どもクイズ王、瀕死の夫の姿に後悔する妻の間あたりか。

ラストの「雨」は、ちょっとホラームービー的だとも思えそうだったけれど、ネットで深い宗教的意味を知ってとても納得(「雨粒」のサイズと量が尋常ではないけれども…)。確かに、そこに至る伏線がいろいろなところにありました。


Aimee Mannが歌う"Wise Up"が、深い。
iTunes Storeで探すものの、サウンドトラックアルバムにないので、代わりにライヴ版をダウンロード。でも、映画の途中、主要な登場人物9人が順番にフレーズを口ずさむシーンに流れる、静かなピアノベースのメロディーがいいのです。

"It's not going to stop 'til you wise up"
終わらない 止められない 賢くなるまでは


10年前の映画を見て、10人目として、ここで歌い続ける。

視点はずっと先へ

一足先のニューアルバム「No Line On The Horizon」リリースから2週間、待ちに待ったU2 3Dがやっと日本でも公開。
もう、あの熱狂の夜から4年か…。
U2 3D http://www.u23d.jp/

福岡市内には、上映可能な映画館がどうやらないらしいのがちょっと残念だけれども、夜更かしの深夜レイトショー強行。
大きな暗がりに観客は、たったの4〜5人ほど。うーむ、この贅沢さは、「Rattle And Hum」の時を彷彿とさせます。

メガネの上に3Dメガネを掛けると、鼻の低い東洋人はどんどんメガネ全体がずり落ちます。
曲や演出も、何だか懐かしい。いろんな意味で。当然、字幕なども一切出ない。

しかし、はっきりいってほとんど期待していなかった3D映像の質感が、想像以上にリアルなことにかなり驚いた。
『上映中に、手をかざしてスクリーンを覆うバカがいる!』かと思えば、映画の中に映っている、野郎に肩車されて騒いでいるねーちゃんたちの手だし。
Edgeのギタープレイが遠景で映った瞬間、スクリーンを邪魔するように大きなスチールの棒がフレームインしてきて、「は?何だ?この邪魔な棒!?」と思えば、それは手前に映ったBonoのマイクスタンド。
Larryを上から見下ろすシーンはドラムキットの凹凸が素晴らしい質感だし、両足を大きく開いて三角形に立つAdamはまるでステージにそそり立っているよう。

引きの絵は、コンサート会場のライブ収録を複数のカメラでなめる。寄りのシーンは、観客を入れずにステージアクションを別撮りしたところで、それらをミックスして、それっぽくまとめている。立体映像化を考えた演出も随所に。

うーむ、これはそう遠くない将来、メガネ無しで家庭に入っていく映像技術なんだろうなぁ。時々錯覚で、さほど巨大でもない、50インチぐらいのスクリーンを、少しだけ離れたところから見ているかのような感覚にもなったりして。

唯一最大の難点は、この映画はじっと椅子に座って見るたぐいのものなんかではなかったということ。
やっぱり、左右に分かれて飛び出した花道のあの間に立って、熱狂の渦の中に身を置きたい!せめて体を自由に動かせるだけのスペースで、飛び跳ねながら見させて欲しい! 飛び跳ねると、メガネ2つはもう絶対に落ちちゃうんだろうけれども。

ちょっとだけ周囲に気を遣って、椅子のままステップ踏みながら、ついついそう思わずにはいられなかった。
『海外なら、Facebookで集まって、仮想ライヴパーティーとか絶対やってそうだよなぁ…』とか、夜明けのカフェラテとカモミールティーとオレンジジュースとホットココアとダージリンティー飲みながら。

確かに、懐かしさもあったけれども、別に古き善き時間を愛おしむためでなく、過ぎ去った幸福な日々の反芻ではなく、これは次なる熱狂への1つの準備。
New York、さいたまと来たら、もう次はDublinだぜ。