夏の静寂

遅れて、誰もいない墓参りに来る。


知ってる所なのに、近くまで来て30分も迷うなんて。周りにマンションや新興住宅地ができていたことと、緑が深くなってったせいかな。ちょっと角を曲がり損ねるだけで、全然違うところまで行ってしまっていた。でも、「道を間違っているはず」ということを意識しながら間違うようになっただけ、まだましかも。

セカンドギアで踏み込んで上っていく。下は規定サイズのリーズナブルパターン、上に行くに従って自由設計の区画。地下に埋められてなお、明らかに存在するヒエラルキー。逆に、南米の高地にある都市は、高い場所が空気が薄いから、貧困層の居住地になっていたんじゃなかったか? そもそも、この墓地がゴルフコースや射撃場より上にあることは、何がどうなんだ?


綺麗に手入れされている植木に、また今更に水をやるだけの十分な暑さ。花もない。榊もない。保冷剤で冷やしてきていた缶ビールを開け、口を向こう側にして置く。どうせすぐ温くなるし、誰も飲まないことを知っていて、何だかそうする。手を合わせることと、合わせないこと。頭を垂れることと、垂れないこと。サングラスを取らないことと、取ること。そのどちらにも違いはない。信仰心が全くない訳じゃないことを、誰に説明し続ける必要もないんだし。ポーズを気にはしないだけ。


不遜かな?腰を下ろす縁石がまだ熱を持っている。正面に刻まれた字の中心線が、ちょっと左にずれていることに気づく。そういえば、地震で墓石自体がずれてたんだっけ。墓誌、か。余白って誰が決めるんだろ。知っている人がご先祖様だという、不思議だけれど当然な感覚。蝉の声と蚊の羽音しかしない。遠くの稜線の間を飛行機が降りていく。ビルマの仏塔を模した建物が、鈍い白さで浮いている。


「何があったの?」「何をしたの?」
聞いていたら、何て答えていただろう?答えてくれていただろうか? 親族ですら。親族だから。過去の辛い出来事について尋ねても、相手が話すことができないかもしれないということにまで思いを巡らせるには幼すぎ、ただ無邪気な興味だけで尋ねるには年を取りすぎてしまっていた、中途半端な自分を思う。伝えるべきことの全ては、聞いて知るべきことと同じなのかな?


閉園を気にしながら急いで来たはずなのに、さっさと帰ってしまう。エンジンが冷め切らないうちにキーを回して、エンジンブレーキだけで坂を下っていく。夕暮れまではまだちょっと。