臨界点を呼べ

Stonesと言えば、お利口なBeatlesと違って問題だらけの彼らが来日するなんてあり得なかった(らしい、だってリアルタイムで知らないし)。税関を通って、日本武道館のステージに上がることが許されるなんて願望は荒唐無稽だった。だからこそ、とんでもないテーマになった。

今一度、大画面で見たかった「太陽を盗んだ男」を映画館で見る。これは見ておくべき20世紀の日本映画の傑作だと思うよ。こんなサイケなDVDパッケージになってるのは知らなかったけど。

主演は沢田研二。原爆製造を企むクレバーな主人公という役を演じるジュリーは、いい感じに入り込んでいる。当世のジャリタレになんか真似できない。そんなバカ若者をとことん追いつめる無骨な警官に菅原文太。どこまでも「漢」じゃけん。

入念な計画と大胆な作戦の下、主人公は原爆の製造に成功する。しかし、孤独な彼は自分が本当に何をしたいのか分からない。誰に、何を要求すべきか分からない。そこで出てきた、当時最も荒唐無稽な要求。
ローリングストーンズを武道館に呼べ。」
今なら何? 「レアルマドリードを国立競技場に呼べ。」 あれ?普通じゃん。「叶姉妹嘉穂劇場に呼べ。」とか。

ただ、現代の観客として、少々心中穏やかならざることがありました。そもそも、ある程度観客が並んでたのにちょっと驚いたけどさ。

太陽を盗んだ男 [DVD]

太陽を盗んだ男 [DVD]

郊外でのカーチェイスとか、ヘリコプターでのアクション、クライマックスの武道館脇の屋上でのシーンなどで、笑っていた観客がいて。苦笑ってやつでしょうか、「やり過ぎだろー」「んなわきゃねーぢゃん」的な。確かに、そうなのかもしれない。冷静に見ればね。CGなんか使わないこんなにも迫力ある映画は、もう東京では絶対に撮影できないんだろうなってことを割り引いたとしても。
でも...私にはどこも笑えなかったよ、やっぱり。
『あそこで笑ってた、笑えた人たちは、爆弾を持とうとしたことが一度もなかったんだろか...』みたいなことを思ってしまった。自分の力(以上のモノ)で何もかも吹っ飛ばしたくなったこととか、それを本気で考えているバカを見ているうちにいつのまにか自分も進んで巻き込まれて行ってしまうこととか、そんな淡い危機感や恐怖感を感じたことがないとかずっと昔に忘れてしまってたら、笑う余裕を持てたんだろうか...。

主人公がクチャクチャやっている風船ガムは、自分の中に抱えたモノでどんどん膨れ上がって、最後にはあっけなく弾けて自分の顔に汚くまとわりつく。アメリカンニューシネマのような切なさ。
「ろおおりんぐすとおおんずなど、こぬぅーっ!」と文太が叫んで24年後、還暦ロックバンドは金儲けにやって来て、元若者共の湿って腐った信管をしばし震撼させたのでありました。そしてさらに数年が経過し、Stonesは武道館と同じぐらい遠かったはずの大陸へ。
それでも、時代の閉塞感なんて、今の「日出づる国」でもまったく一緒なんだけどな。