死に生を見る武士の魂

何度も、何度も、見る。刻むように、繰り返す。いろんなソースで記憶する、W杯の終戦。

http://www.yomiuri.co.jp/wcup2006/graph/glist.htm?ge=3&gr=54


2敗1分け、勝ち点1得失点差-5。8年前より、もっと前に引き戻された、初戦の8分間。完膚無きまで叩きのめされた、数字以上のこの重苦しさ。こんなに打ちのめされる気分って、おかしいか? ああ、確かにそうかもしれない。スタジアムに行ったこともないし、代表戦を必ず見てきた訳でもないし。

ただね、『ガンバレ、ニッポン』に上手く踊らされて、勝とうが負けようが引き分けようが、とにかくただ騒ぎたかっただけの呑気さ、そんなものを羨ましがる気にはなれないし、『感動をありがとう!』『胸を張って帰ってきて。』なんてくだらないことも、今は少しも聞きたくない。戦犯捜しや、監督の首のすげ替えに躍起になるだろうメディアと、それを操る汐留の代理店に感じる嫌悪感も強いけれど、それだけじゃない。とにかく、この吐き気は嘘じゃない。こんな気分を、酒飲みながらハッピー・フーリガンと一緒にパブリックに共有なんてできる訳がない。

試合が終わり、ピッチを背にして起き上がれない、あの中田の姿が信じられない。怒濤のシュートを浴び続けた川口に、まだ足りないとマイクのシュートが飛ぶ。中村は、きっと自分でも何を答えているか分かっちゃいない。また今度は誰か、柳沢に水を掛けるかい? 母国を相手に闘った三都主だって、複雑な思いが全く無かったはずもなく。3戦目のピッチに立てなかった無念の宮本は、瞬きできない視線の先に何を見たか。

でも、こんな気分は、何度もずっと繰り返されてきたはず。ただ、見てる人が少なかったってだけだ。そして、俺は今朝、それを確かに見た。そう、確かに終わった、何かが1つ終わってしまった。そして、結局の所、まだ始まってすらいなかったことに気づいた。眠たくてイライラしてるんじゃないよ、もう少し眠りたくないだけなんだから。