新しい希望を信じて

夏の饗宴が終わりを迎える。W杯決勝のホイッスルまで後数時間。
4年前、これ程集中してTV中継を見ていなかったと思うし、8年前、これ程悔しい感情も湧かなかった。
熱くなっているポーズを理由に群れることだけ楽しんでいた人たちにとっては、ブラジル戦でW杯が終わってるみたいだから、ますます滑稽に思えるんだろうなぁ。


4年後がどうなっているか何て分かる訳ないよ。
絶望の淵から、笑顔で立ち上がるなんて、柔な神経じゃとてもできない。
それでも、希望を信じたい。


希望を信じるってことを、昔はバカにしていたと思う。楽観という無関心・無責任、明るい諦めだとしか思ってなかったから。
悲観する方がむしろ簡単だし、悪いニュースに注意を払ったり、責任について声高に叫ぶ材料はすぐに見つかるもの。物事を深く知れば知るほど、落胆に備えるのが得意になるし。
それも理解した上でなお、明るい将来を信じることって、実はかなりタフなことなんじゃないかと思う。


もちろん、希望が実現し、結果に結びつくには、汗も涙も血も流す覚悟が必要なんだと思う。個人の身体能力の向上がシビアに要求されることも分かったし、個人がどんなに優れていてもチームとしての結束力や戦術が機能しなければ、とても世界レベルで勝ち進んでいけない現実も知らされた。アジア各国はサッカー後進国かもしれないけれど、だからこそ発展途上のがむしゃらさが必要なんだろうな。


世界最高峰の戦術やチームワーク、個人技を見て、悔しさを今一度思い出して記憶する。
全力を尽くした・尽くせなかったプレーヤーが、
出場機会が与えられなかった選手が、
代表に選ばれなかったJリーガーが、
W杯に縁の無かったプレーヤーが、
仕事を休んだり、辞めたりまでして現地の応援に駆けつけたサポーターが、
ずっと気にしながら夜中働いていた元サッカー選手が、
睡眠時間をシフトさせてTV中継を見守った隠れファンが、
憧れの選手が負けたのを見た少年サッカーの子供たちが、
彼らがそれぞれの立場で味わった挫折感。それをそっと内に秘め、次の世代へ希望をつないでいく。


そんな願いを短冊に書いた人がきっとにどこかにいるんだから。

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