知らない敗戦、感じた風

自分から進んで観に行くのは初めてだった気がする。芝居に行くこと自体が、学生卒業後に、ちょっとだけ舞台美術の真似事のようなことをして以来だし。
「The Winds of God」。前から、少しだけ興味があったけれど、なぜ今年だったのか?「もう、そう長くはやれないかも。」と今井雅之氏が吐露していたのを偶然目にしたからかな。

The Winds of God
http://www.ceres.dti.ne.jp/~elle-co/

ストーリーは、現代の若手漫才師が、自転車交通事故の衝撃でタイムスリップしてしまい、目覚めるとそこには太平洋戦争末期の特攻隊基地だった、という設定。神風特攻隊員となった彼らと戦友の、心の葛藤と過酷な運命が描かれる。

ほとんど木製のごつい机と椅子だけで構成された舞台が質素だが、とても清々しい。観客席の組み立て式の座席も、人が上り下りするだけでぎしぎし揺れて、見ているこっちも零戦の浮遊感にも通じて効果抜群(ホントか!?)。

自衛官タレントとしての今井さんの経験が、この作品の血、骨、肉になっているんだろうな。きついとか、辛いとか、体力持たないとか言いながら、今井さんがこの作品に全エネルギーを注いでいるのを感じる。自分が創り出した作品、叫ばざるを得なかった声に突き動かされて、今年の夏も身から汗をしたたり落としながら、最後の沖縄まで日本全国を巡っている。

表現者はいつも、作品に想いを深く刻んでいく。こんなにも切なく、辛く、悲しく、怒りに満ちた気持ちを二度と味わうことがないように、と願いを込めるながら。そしてできることならばそれらの感情全てを封印し、演じる必要が無くなる日が来ることを信じながら。それでも、時代がそれを遙かに上回る残酷な規模とスピードで追い越していく。

戦争を実際に体験したことがない者は、それについて想像するしかない。従軍経歴があったり、戦没者がいたり、戦争の記憶が鮮明に残っている親族がいても、それを細部まで明らかにしていいほど、時間は傷を過去のものとはしていないことを子供ながらに感じていた。想像はどこまでも想像でしかないけれど、感受性豊かな表現者が刻み込んだメッセージを注意深くトレースして、想像を深くすることもできる。

自分と、自分が大切にしている人たちの命とが、毎日極限状態に晒され続けるストレス。戦争を体験したか、していないかには、はっきりと死生観の違いをいつも感じている。それを味わうことがなく平和に暮らしていることを有り難いとも思うけれど、同時に、そこには「命への深い尊厳」が自分には決定的に欠けている負い目もそのままの大きさで思い出す。

「今夜のお芝居、カンドーしたね。何、食べて帰る?」レベルではなくて、TVの中の遠い国での戦火の向こうに、ごく普通の若者の何気ない当たり前の生活があったことに、何度も想いを馳せてしまう。TVのスイッチを切っても、その想いはどこかで続いている。

この作品を映画化するにまで至り、New Yorkのグラウンドゼロでのロケ、Los Angelsでの零戦フライトまで敢行する程の力に、日本人今井雅之の熱いロック魂を見せられた。こういう魔力に取り憑かれたら、毎晩、ここで死んでも良いと思ってしまいそう。そんな幸せを本気で願いそうなほどに。あの夜、舞台には確かに風が吹いていた。

いかんいかん、やっぱり8月15日を挟んでセットで見ておくべきだった、鳥肌実も。
押忍!