インフォメーションとメッセージ

「出産祝いのメッセージを書きたいのですが...」
ある授業を担当していた外国人女性講師に贈るカードの文面を考えている時、どうしてもスマートな文面が思い浮かばなかった。
学生時代、インターネットはまだ夜明け前、パソコン通信の存在すら知らなかった。困り果てた挙げ句、私は自分が幹事をしていた担当ゼミの教授を訪ねることにした。しかし、一通り事情を説明した私に、教授の返事は何ともつれなかった。

「フランス語でどう表現するかというよりも、表現する気持ちの方が大事なんじゃないですかね。」

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『そんなに難しいこと聞いてるんじゃないんだから、教えてくれてもいいんじゃないか!』というイライラした感じと、『そうだよな、形から入ることばかり考えて、上っ面の部分だけお手軽に拝借しようとした自分が浅はかだった。』という反省が入り交じった、あの何とももどかしい感情を、これらの質問を投げかける人も感じたりするんだろうか?

情報は、本当にタダか? それはせいぜい「インフォメーション」の部分ではないか? 「メッセージ」すら借り物で済ませたら、それはもはや伝えるだけの価値があるかすら疑わしい。